セラピーの枠組み変更について

心理療法には「器」と呼ぼれる言葉がある。これは時間枠、料金枠、場所などの外形的なセラピーの場の枠組みのことである。この枠組みから逸脱することは、よほどの例外でないと許容されないとこれまで考えてきた。たとえば、クライアントの秘密の厳守は心理療法家にとって当然なことである。だが、クライアントが自殺をほのめかすなど、その危険が察知される場合には、守秘義務は解除され、家族への連絡などが優先となる。これは公認心理師法下でも認められることであろう。

このような「器」はけっこう厳格なものだと、私はこれまで考えてきた。しかしながら、コロナ禍の渦中におけるセラピーのあり方を考えると、これまでの「器」のみではどうしても現実に対応できなくなってきたと思われる。いわゆる遠隔療法と呼ばれている電話やビデオなどを用いた方法がどうしても必要となってくる。

心理療法家として人に面談するのであれば、せめて自分が感染していないことを検査によって確認することは責任上当然なことだと思う。ところが、検査が不足している中で、症状がない人間の世話までやってもらえるとは思えない。そうなると、非常事態宣言の主旨に従って、活動(営業)を自粛せざるをえないということになる。

HPに、初回20分程度の電話カウンセリングは無料としますと書いた。もっとも20分では不十分なのはわかりきっている。しかし、少しでも緩和してもらえるならばと思う。また、カウンセリングというよりは社会資源(施設等)へのつなぎのような情報提供くらいはできるかもしれない。

私は電話カウンセリングでは、クライアントの心の受け止めを十分に行うことは非常に難しい面があると思うが、それでもやらざるを得ない局面にあると思う。箱庭療法などは実施しようがないし、絵画療法などはクライアント側で用紙やクレヨンなどを準備してもらうならば何とか可能か。だが、技法によっては心理療法家が先に用紙に書き入れをするということわりになっているものもある。よって、これらは工夫と改良が求められる。

「器」の改良、あるいは改変? けっして「新しい生活様式」などという造語では表しきれないものを感じる。

結局、PCR検査等の実施が徹底され、社会での隔離と治療があれば、もう少し解決の糸口があるだろう。感染していない者同士で「密です」などと言っている必要もないし、家族でも食卓では並んで座り、対面しないなど、ありえない話をする必要もないはずだ。

これまでの考え方をいかに現実対応するか、心理療法の方法においても問われざるをえない局面にあるのだと思う。